今年の夏はコロナの影響でお盆らしくない
お盆を迎えている方も多いかと思います。
帰省やお墓参りなどの年中行事が普通に出来ずに
なんとなくすっきりしないかもしれませんね。
毎年お墓詣りをきちんとされている方なんかは
やっぱりそういった習わしが出来ないことによって
気分的にも心配になってしまうこともあるのでは
ないかと思います。
私は、そういった習わしや風習というのが、
押しつけ。
状態であるのはよくないのではないのかな?
と思うところもあります。
実際、私の実家は私がコロナなど関係なく
帰省がないことに結構お怒りモードであります。
みんなが集まる正月お盆に参加しない私。
というのを結構、非難され、批判の対象に
あるので、更に帰りづらくさせられています。
まあ、どんなに思われても、私はサラリーマンでは
ないので、お休みがお盆正月にキチンととれるわけ
ではないので、仕方ないです。
それぞれの事情・・・
というものがあるのですから。
ただ、そういったことを、やっているだけで満足
しているのも私としてはしっくりこないので
行かない。
というようにしました。
実際、実家に住んでいる頃から、あまり年中行事に
重きを置いていない人間でした。
ただ、常に亡くなった父親を思いだしたり、
感謝したり、実家のルーツに関して考えたり
自分がそれをふまえどうしていこうか・・・
などを考えてきました。
自分の祖先・・・。がどのようなタイプの
家系で、どんなことが良くない。
それは無意識に自分がやってしまう
だろうと考える為に、それをふまえて自分が
改善し、行動を起こすようにしています。
お墓にお参りすることが先祖の供養になるのか?
ということは一見きちんとしているように
おもえるのですが、そこに自分がその先祖に
対しての何か思いが無ければ意味がないと
思っていたので、ただ行くだけということは
やめました。
そうではなく、彼らが残してくれたことや
現世で私が出来ること、そして、そのルーツを
もって生まれたことを最大限い活かすように
生きていくことを考えるようにしました
実際、こういう考えになったのは、忘れもしない
4年前の夏です。
まだ実家にいるころで、子供が小学5年生の時の
事でした。
自由研究で、毎日朝顔の観察を写真にとって
綺麗にスケッチブックに張って、自由研究を
丁寧に仕上げていました。
お盆ではなかったのですが、夏休みの最後に
私のお誕生日を兼ねて家族で旅行をすることに
決めました。
泊りの旅行でしたので、夏休みの最終日になって
しまうということもあり、新学期の準備をしてから
出かけるように子供に伝えました。
自由研究もキチンとしておくように。とも伝えました。
ですが、子供は私の言うことを聞かず、新学期の
準備をせずに旅行に出かけたのです。
そして、旅行を終えた当日の夜に不思議な夢を見ました。
私と娘が二人で電車に乗っており、別の座席に亡くなった
父親のっており、こちらに向かって歩いてきました。
お互いなんのためらいもなく、しかも5年生の子供も
まだ小さいころの状態で、「お父さん、この子に会うの
はじめてだよね?」なんて会話をサラっとしました。
父は笑って「おう」といって、自分の座席に戻って
いきました。
座席に戻る際、スゴイ光を放っている・・・。
という印象はありました。
この夢が何を指しているかはわかりませんが、
次の朝、娘が一生懸命作成した、自由研究のスケッチブックは
なくなっていました。
家じゅうどれだけ探してもありませんでした。
私は、父が持って行った。
と何の確証もなく思いましたし、子供にも、母親にも
「おじいちゃんが持って行った」
とさらっと夢の話もしました。
なぜか、だれも否定をしませんでした。
娘は今もそう思っていますし、私も思っています。
実際、父親が亡くなってから、多少そういったオカルトな
事件が家では起きていたので、慣れていた。
というのもあります。
その2年後、実家を出ることになり、荷物をほぼすべて
片づけたのですが、結局自由研究は出てこないままでした。
ただ、その出来事をきっかけに、私は父親に【先祖に】守られて
いる。
と根拠ない自信を得られるようになりました。
つまり、お墓参りをすることだけを供養と思わなくなり、
実生活で、守られていることを実感しつつ、自分の行動、
仕事についても、真剣に考えるようになりました。
そして、そう思えば自分が必要な時にまとまったお金を
もらえたり、自分がやりたくてもうまくいかなかったり
することは、私ではなく、娘が守られていることに気づく
ようになりました。
そう思うようになったので、娘に良いとされるようなことは
どんな状況でも上手くいく。
と考えるようになりました。
親になり、自分は他人の人生を背負っている。
だけど、他人の力を借りて生きている。
というように思えるようになりました。
だからこそ、まだ、子供は中学生であるので
ココロも身体も未成熟な子供を一緒に支えながら、
そして私も周りに支えてもらいながら過ごしていく
べきだと思っています。
だからこそ、私は自分の信念をもって
今の自分にとって子育も人生をかけて成長させて
くれる重要な仕事として取り組むようになりました。
そして、その取り組みは他者への影響ももたらすように
なったこともあります。
それは、またお伝えしていきたいと思います。
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